2010年3月17日水曜日

Vol.17 『“脱税仲間”が逮捕され…』

私はいま少々おびえている。税務調査官は、いつ私のオフィスに来るのだろうか…。

私が税務署の目を気にするようになったきっかけは、関西で同じ仕事をしているある会社が脱税を指摘されたことにある。その会社の経営者とは仕入先などで顔を合わせることが多く、彼が東京に来たときには、よく赤坂に繰り出したものだった。

私が経営している会社は、パソコン関連部品の卸会社だ。台湾などから安いメモリーやグラフィックカード、ハードディスクを買い付け、これを秋葉原や日本橋の販売店に卸す。創業した10年前は細々とした商売だった。海外企業との交渉も、創業間際で信用がなかったことや私自身の英語の拙さから、失敗したことも多かった。しかし、地道に営業を続けていくなかで台湾と韓国の大手メーカーとの契約も成功。過去のインターネットブームのときには、大手メーカーとのパイプを持つウチの会社だけが、国内で品薄のメモリーを順調に供給することができた。おかげで随分稼いだものだ。

稼ぎが増えたら申告を少々ごまかすということは、経営者なら誰もが一度は考えるだろう。私も同様だったが、小心者なので“過少申告”といっても大した額を除外したわけではなかった。多分、近所の八百屋や喫茶店がやっている過少申告よりも少額だったはずだ。実際、一度調査に入られたことはあったが、いくつか注意されただけで問題はなかった。

しかし、一度調査の“洗礼”を受けたことで気が大きくなり、過少申告のやり方も大胆になった。台湾の小口取引先に対する売上の一部や技術指導料を除外。除外資金を個人名義の預金にプールしておくようになった。ただ、周りの目と税務署を気にして、車の買い替えや飲みに行く回数など、目に見える生活レベルの変化には細心の注意を払った。

冒頭で紹介した経営者と知り合ったのは5年前。以後、幾度か杯を交しているうちに、「稼ぎの4割が税金に消える悲哀」の話で盛り上がったときのこと。酔いも手伝って、私がやっている過少申告のノウハウを事細かに話し聞かせたのだ。彼がしきりに感心していたので気分が良かった。

あの日から3年…。彼は悪質な脱税を行った経営者として、司直の手にかかってしまった。裁判で傍聴したときに知った“脱税”のスキームは、私の会社で行っているものとまったく同じだった。ただ、彼の場合は金額が私の10倍ほど大きかっただけだ。

結局、私のしていたことは過少申告ではなく脱税だったのだ。翌日、私は税理士に相談し、すぐに過少申告スキームを改めた。

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