実は、子供や教育が好きだったわけではない。ただ、親が残してくれた土地や財産をどれだけ着実に、しかも楽に運用していけるかを考えていた。
「保育園なんかどうだろう」。知り合いの経営コンサルタントから紹介されたのがきっかけだ。最初は面倒そうだったが、アドバイスを聞きながら設備や人材を用意した。そして、地方自治体から許可をもらい、保育園は意外と簡単に立ち上がった。信念も苦労もなく運営をスタートできてしまったのが、今考えれば間違いの始まりといえた。
自分は「理事長」となり、保育園は順調だった。自治体からは補助金を得られ、ある程度入園者も集まる。当初、経営や教育、福祉といった事業に関しても素人であった私は、コンサルタントや事務職員にすべて任せきりにしていた。だが、そのうち近隣に大規模な団地が造営され、入園者がどんどん増加していくと少し色気が出てきた。「もっと儲かる方法があるんじゃないのか」―。
とにかく入園希望者が多かった。施設を増築したが追い付かない。それに、自治体からの許可の関係上、あまり無理には施設が拡充できないという理由もあった。だが、定員の何倍も集まってくる希望者を見ると、惜しい気もしてきた。少しぐらい園児の数が多くても…。
そこで、決められた定員以上の園児を「私的契約」という形で入園させた。この私的契約園児については、運営の計算上、表沙汰には出来ない。集めた保育料は帳簿から当然除外。その金は理事長名義の銀行口座に預金し、そのまま私の自由になった。あっという間に車に、酒に、女に、ギャンブルにと消えていった。こうしたぜいたくの味は、一度覚えると忘れられなくなる。その後、いつの間にか私的契約の保育料の除外だけでなく、架空経費も計上するようになっていた。
こうしたことがいつまでも続くはずがなかった。保育園の駐車場に高価な外車が何台も置いてあることは、近所で評判となっていたらしい。新聞や雑誌において、保育園を始めとした公益法人の経営のあり方が問題視され始めていたこともあったのだろう。ある日突然、税務署から調査が入ったのだ。
調査の結果は明白だった。私が理事長名で個人的に蓄財し、遊興費などに当てていた金額は給与とみなされ、重加算税を含めて追徴された。時を同じくして、入園者の数も減り始めた。少子化の影響もあったのだろうが、幼稚園も近くにつくられ競争が激しくなるなか、脱税に精を出しながら、なんの経営努力もしていなかったツケが回ってきたようだ。
2010年3月14日日曜日
Vol.14 『無垢な園児を喰いモノに』
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