「正直者はバカを見る」。これが、50余年生きてきた私の信条だった。20年前に父親からパチンコホールを引き継いで12年。小さなホールだったが、堅実に経営して資金と信用を積み上げ、8年前に基幹駅前の土地を買収、念願の2号店を出店した。
それから先はサクセスロードを歩み続けた。2号店は瞬く間に県内屈指の大ホールとなり、そこからわき出る利益のほとんどを店舗展開に充てた。結果、しがないパチンコ屋だった私は、6つの店舗をチェーン展開する実業家になった。
脱税に手を染めた理由は、裏金をねん出するためだった。2号店の土地買収のとき、便宜を図ってもらった裏社会の面々への謝礼、つまり、土地買収の工作費が必要になっていたからだ。
パチンコ経営では、サービス内容や出玉調整で他店との差別化を図ることは難しい。結局、立地条件がすべてといってよい商売だ。しかし、好立地の土地を買収するためには、その筋の人を含めた“地元の名士”とのつながりが必要だ。そのための費用は必然的に裏金にならざるを得ない。では裏金をねん出するためにはどうすればよいか?答えはひとつしかなかった。
脱税自体は難しくなかった。取引会社との間で架空のリース契約を結び、申告の際には賃貸料として計上する形で過少申告。本部事務所のアルバイトの面接を繰り返し、架空人件費を上げまくった。心のなかで、脱税が違法行為から日常行為へと変わっていくにつれ、「私の信条は正しかったのだ」と強く思うようになっていた。
6つ目の店舗を開店し、次に展開するための土地買収工作を終えたころ、税務署が調査に来た。思えば、生活ぶりがあまりに派手だったからかもしれない。いつの間にか自宅は3階建てになり、酒がオールドからヘネシーになり、車がマークⅡからベンツへと変わっていた。告発、起訴され、臭い飯を食うことになった。
保釈されてから数ヶ月。私は生れて初めて裁判所に行った。
初公判で、被告席に腰を下ろした私を迎えたのは、十数人の傍聴人だ。
傍聴人の視線は厳しかった。いまどき凶悪な殺人犯にさえ「社会が悪かったせいだ」と擁護する声が出たりするが、脱税犯を擁護するものは誰一人としていない。社会の目は平等だ。脱税犯に対しては、性別、国籍、出自、社会的立場といった点での差別は一切ない。儲けているくせに税金をごまかす薄汚い奴と見られることにおいて平等だ。
「因果応報」。裁判長の甲高い声を聞きながら、こんな言葉が胸中に去来した。
2010年3月5日金曜日
Vol.5 『脱税犯を擁護する人はいないのに…』
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