美容室の経営を始めて、十数年が経つが、いまなお後悔しているのが自分のお店を持って7年目に脱税で摘発されたことだ。しきりに反省したことから執行猶予付きの判決だったが、町内から村八分にされお客は激減、2年間の閉店を余儀なくされた。
私は母親一人の手で育てられたため、家はとても貧しかった。おいしいものをいっぱい食べて、きれいな洋服を着て、大きな家に住んで…。そんな欲望を満たすためには、とにかく手に職をつけることが一番だと私は考えた。そして、選んだのが美容師の道。
家にはおカネがないため、東京で美容室を経営する叔母の元に住み込みで働きながら勉強を始めたのが18歳。母も私が美容室を開くことを応援してくれ、25歳で独立することができた。
がむしゃらに働いて、お店が繁盛し始めたのは開店4年目辺りからだ。都市開発が進み、店の裏手に大規模団地が建設されて顧客が一挙にアップ。積極的に女性雑誌にヘアーアドバイザーとして登場することで、世間ではカリスマ美容師と呼ばれるようになった。名前が売れると、大手結婚式場からお抱え美容師としての業務提携も実現。美容室のチェーン展開を行うため、会社を設立して都心の一等地にも進出した。毎月、数百万円の売上報告が各支店から届くようになった。
そんなとき、頭をよぎったのが幼いころの貧しい生活。あんな暮らしには戻りたくないと同時に、お店の収益の50%近くを占める税金に腹立たしさを覚えた。私は知らず知らずのうちに脱税に走っていた。カットや着付けなど、材料を使用しない売上げを帳簿から除外する。毛染め料金のように基本料金に上乗せできる料金も売上げから除外した。もちろん、つじつまを合わせるために材料費も除外。人件費については、見習いの子を正社員扱いにして、しかも歩合給まで採用した形を取り水増しを図った。
多額の経費を作るために店舗の改装を行って、工務店にリベートを払って工事費のかさ上げに協力してもらったこともあった。アノ手コノ手で脱税を繰り返していたわけだが、やっぱりそれを税務署が見逃すわけがない。
最初は礼儀正しかった税務署の調査官は、3日目から人が変わったように怖い形相で帳簿上の矛盾点を突いてきた。私が脱税で貯め込んだウラ金の在りかを隠しとおしたため、調査開始から約1ヵ月後、裁判所の令状を持った国税局査察部から強制捜査を受けることになる。ちょうどその日は、私が店を持って7年目の記念日だった。
2010年3月7日日曜日
Vol.7 『築いた富を守りたかった―』
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