2010年3月1日月曜日

Vol.1 『業績アップで悪魔のささやき』

祖父の代から続けてきた小さな雑貨店の経営を父親から任されたのは、10年ほど前のこと。台所用品やバス・トイレ用品などを売る、どこの町にも必ず一軒はあるような店で、大きな儲けこそないものの、毎年家族で温泉旅行に行ける程度の収入は確保していた。

不景気で売上は減少したが、日用品を扱っていたためかさほど打撃は受けなかった。社員に給料を支払い、家族が生活していけるだけの収入はあった。いま思えば、ここでじっと不況風が去るのを待っていればよかったのだ。

先行きの不透明さに焦った私は、「現状維持」に見切りをつけ、「変革」を選んだ。ちょうど健康ブームが到来していたため、ダメもとで店の奥に陳列してあった健康器具をかき集めて「健康グッズフェア」の看板とともに店頭に並べてみたところ、これが大当たり。バーベルや発汗スーツなどの小物を中心に飛ぶように売れた。いいことは続くもので、そのころある雑誌に「健康グッズが買える店」として紹介された。これにより、遠方からの問い合わせも増えて売上も倍増。ついには健康グッズの専門店として2号店、3号店をオープンするに至った。売上は生活雑貨店を営んでいたころの10倍以上。毎年2回は家族で海外旅行に行くのが習慣になった。

売上の増加にしたがい、私のなかに税金をごまかせないかという気持ちが沸いてきた。健康グッズの架空仕入れや帳簿上のアルバイト雇用など、架空経費をバンバン計上した。慣れてくると、ダミー会社を介在させるなど手口も大胆になった。

だが、不況下に短期間で複数の支店を構えるなど、派手な展開の割に売上が少ないことが税務署の目に留まり、ある日突然、調査官がやってきて申告もれを指摘された。抜き打ちだったため、裏帳簿もあっけなく見つかってしまい、重加算税を含めたペナルティーを払う羽目に・・・。

生活雑貨店を真面目に続けていたら、こんなことにならなかった。祖父が家族を食べさせるために戦後のドタバタのなかで開業し、苦しいなかでも歯を食いしばって守り抜いてきた会社の看板にドロを塗ってしまった。今でもそれだけが悔まれてならない。

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