2010年3月30日火曜日

Vol.30 『生徒利用して売上げ除外も』

大学時代にフリーで家庭教師のアルバイトをしていた。ほぼ毎日“出勤”し、1日に2人の生徒を受け持ちすることもあった。そのうち身体がもたなくなり、同じ学年の生徒を自宅に呼んで、数人ずつまとめて教えるようになった。これが学習塾を始めようと思ったキッカケだ。

駅前の小さなビルのひと部屋を借りて細々と始めたのだが、口コミとライバル業者がとくになかったことが幸いして、生徒は面白いくらい増加。経営規模が大きくなってくると、教科を英語、数学、国語に絞り込み、アルバイトの講師陣を増やして、自分は教壇を降りて管理業務に徹することにした。

教壇を降りた途端、頭の中は「売上げ倍増!」でいっぱいになった。講師に多少無理をしてもらい、夏期講習、冬期講習、春期講習などの季節事業を展開。新しい生徒の獲得に力を注いだ。

季節事業によるスポット売上げに味をしめた私は、いつしかこの年3回の講習から売上げを少しずつ除外するようになった。ときには冬期講習を「なかったこと」にして、その収入をまるごと除外。さらには、数人の生徒を退塾したかのように見せかけて、その分の売上げを除外。そのうち、架空の講師をつくりあげ、人件費の水増しにまで手を染めるようになった。浮いた金は個人的な旅行費用や家事費などに充てた。

しかし、上質紙のパンフレットやポスター、地元ケーブルテレビのコマーシャルなどで派手に宣伝している割には売上げが少ない点が税務署の目にとまり、税務調査を受けることに―。調査官は、時間割表と講師のメンバー表を照らし合わせ、授業を受け持っていない講師への報酬の支払いを指摘。さらに、教材に生徒数を照らし合わせて生徒数以上に教材を購入していることを指摘してきた。架空講師の介在による売上げ除外はあっという間にバレてしまった。さらに、夏、冬、春の季節講習の時期の売上げがさほど高くないことも指摘され、挙句の果てに、脱税したカネで欧州を周って撮ってきて、事務所内に飾ってあった写真を見て、そのカネの出所まで掘り下げてきた。

なるほど、税務調査官はプロだ。慎重に進めていたはずの脱税の数々が、あれよあれよといううちに白日の下にさらされてしまった。こんなことなら、昔のように少人数の生徒相手に細々と個人塾経営をしていればよかった。あの頃の私を慕ってついて来てくれた生徒たちの顔が懐かしく思い出される。生徒たちに面目が立たない。いまはただ、反省しきりの毎日だ。

2010年3月29日月曜日

Vol.29 『キャバクラで“つまみ申告”』

とにかくキャバクラには目がなかった。やり手の営業マンとして若い割には給料をもらっていたこともあり、週に4回、5回、足しげく通った。ほかに趣味はない。お金はかかったが損をしたとも思わなかった。だがそのうち、「商売」としての魅力を感じ始めていた。

「この程度のサービスでこんなに高い金を取っているのに客が入る。ビジネスとしての旨みはかなり大きい。自分が客の立場でこんな店があれば、というのを実現すれば必ず成功できる」。これまで自分が多くの店に出入りし、遊んでいたことが妙な自信につながった。

日につれ、その思いは強くなり、ついに会社を退職。退職金のほか、親戚、知り合いから資金をかき集め、小さいながらも店をオープンした。開店当初が肝心だった。これまで客として培った“人脈”を駆使してキレイどころを集めた。「あの店にはカワイイ子やノリのいい子が多い」という評判を得ることが、店を流行らせる絶対条件。もちろん、常勤では難しい女の子も一時的に来てもらった。とりあえずお金を積めばなんとかなるのがこの業界のやりやすい点でもある。

こうした苦労や“投資”が実って、開店早々客足は伸びた。基本的な料金を安めに設定したのも功を奏した。単価が低くても客の数が多ければ売上げは多くなる。となると、後は人件費を削って収益も高くするだけ。さすがに店のナンバー1やナンバー2を辞めさせるわけにはいかないので、数人の女の子は厚遇したが、そのほかで給料に不満がある子は全部辞めさせて安い給料で雇える新人を大量に入れた。

こんな形でも店はなんとなく儲かっていったが、当然納める税金も多くなった。ある年、納税額を見て「こんなに取られるのか」と声を上げた。「入ってくる金をもう少し減らしてしまおう」。経理担当者に対して自然に命じていた。

次の年からは実際の収入金額を少なくして申告を行うようになった。いわゆる「つまみ申告」だ。女の子への給料も実際に支払ったものより多く計上し、帳簿上には実在しない女の子が増え続けた。こうして手元に残った資金は、店の女の子名義で借りたマンションのクローゼットの中などに隠した。

ただでさえ、税務署からのチェックが厳しいこの業界。新参者で羽振りもよかった自分が見逃されるはずがなかった。ある日突然調査が入り、すべての不正経理が暴かれた。マンションの隠し財産も発見され、多額のペナルティーを科せられた。時を同じくして、看板の女の子たちも引き抜かれ、いまや店は閑古鳥が鳴いている。「おごれるものは久しからず」という言葉が身にしみるこのごろだ。

2010年3月28日日曜日

Vol.28 『譲渡担保で土地売却益隠した』

砂利採取業を営む当社も、ご多分にもれず不況の波に飲み込まれ、所有していた土地を担保に町の金融会社から会社の運転資金を調達せざるを得なかった。毎月の支払いが200万円ものローンを組み、なんとか返済していたが、やはり肝心の砂利が売れず、行き詰まってしまった。そんなとき助けてくれたのが、不動産販売会社の社長で私の学生時代からの友人だった。

ともかく、金融会社へのローンの返済を軽くしたかったため、借入金全額に当る1億5千万円をその友人から借りて、土地に付けられていた抵当権をはずすことにした。その代償として、金融会社の抵当権がついていた当社所有の土地を友人の会社に譲渡担保として提供した。その土地の時価は、当時約5億円。交通量の多い国道に面していたことから、ロードサイドビジネスを展開するファミリーレストランやホームセンターなどから売ってくれ、という引き合いが何回かあったほど立地条件のよい土地だった。

友人も、その立地条件に目をつけたのだろう。譲渡担保を設定して2ヶ月が過ぎた頃、突然「あの土地を高く買い取りたい」と言ってきた。本業の砂利採取業がうまくいかず、運転資金に事欠いていたため、友人からのその申し出に対し二つ返事で答えた。

ただ、1億5千万円の借金の返済だけならば、土地を売って手元に残るお金は約3億5千万円。しかし、当時は、土地の譲渡に対する税金が非常に重くのしかかっていた。

そこで、ひらめいたのが当社の経営建て直しが終わるまで、そのまま譲渡担保として土地の利用を継続していることにすることだった。友人もその案に賛成してくれ、すぐに転売するのではなく、友人の不動産会社が展開する住宅展示場としてしばらく活用するとともに、土地の代金は向こう2年間で支払ってくれた。土地を譲渡担保として提供した形をとると、購入者に引き渡したわけではないから土地の譲渡益を計上しなくても済み、税金を払う必要がない。登記されているわけだから税務署に見つかるわけがないと高をくくっていた。だが、譲渡担保登記の設定から4年後、税務調査が入って、見事にその手口は暴かれてしまった。

税務署は土地の登記だけでなく、銀行口座への入金状況や土地の利用状態も調べていた。いま思い返すと、浅はかな考えだったと深く反省している。

2010年3月27日土曜日

Vol.27 『ラブホテルの日記で足がつき』

恋人たちの憩いの場所を作ろうと、私は数年前からラブホテルの経営を始めました。

今は、お客様の宿泊、滞在記録はすべてコンピュータに登録します。お客様がチェックインをすると同時に、事務所内に置いてあるパソコンに宿泊記録を入力するのです。

ある日、お客様がチェックインして数分後に、急用ができたということでチェックアウトされました。一見して大学生と分かるカップルで、2人は泊まれなくてとても寂しそうでした。気の毒に感じた私は、通常なら絶対しないのですが、このカップルに宿泊代を返金してあげたのです。2人は「ありがとうございます」と丁寧にあいさつをし、ホテルを後にしました。

この一件が、私を脱税に導いてしまったのです。このカップルもチェックインと同時にコンピュータに入力をしているため、普通にチェックアウトすると宿泊金額の1万2千円がマイナスとなってしまいます。そこで、一度コンピュータの宿泊欄に入力した「1(泊)」を、「0(泊)」に訂正してチェックアウトの手続きをしたのですが、この訂正を利用することで脱税ができると考えたのです。

つまり、現金で宿泊料金を支払ったお客様のうちの数組について、チェックイン後に「0(泊)」に訂正し、その金額を隠したのです。だいたい1日3室くらいを「0」泊に訂正していたので、月に100万円近くの売上げを少なく見せることができました。私が経営するホテルは繁華街のど真ん中にあり、平日・休日を問わずほぼ満室状態でしたが、それを隠すために、わざわざ稼動実績を9割程度としたニセ帳簿も作ったのです。

しかし、これも長くは続きませんでした。繁華街のど真ん中という場所柄、税務調査のメスが入りやすいことは予想していたため、それなりに帳簿はしっかりと作り変えていたつもりでした。ですが、思わぬところでバレてしまったのです。

それは、客室に置いてある日記帳。帳簿上、空室となっていたはずの部屋の日記帳に、その日の日付で日記が書かれてあったのです。そこから、コンピュータを操作して稼動をごまかしていることが分かってしまいました。

その日記には、「先日はありがとうございました。急きょ帰らなくてはならない用事ができてしまったのです。直接言うのは少し恥ずかしいので、この日記帳に『ありがとう』と書きました」と書いてあったのです。その日記を読み、自分のしたことが情けなくなりました。

2010年3月26日金曜日

Vol.26 『ソフト開発費を水増し』

「カンベンしてください!もう3日も家に帰ってないんですよ」。社員の悲痛な叫びが胸に迫る。だが、納期はすぐそこ。ここで手綱を緩めるわけにはいかない。自分だって1週間は家に帰っていないどころか、まともな睡眠さえとっていない。極限状態で思ったのは、「身を削り家族を犠牲にしてまでも稼いだ金。みすみす取られるのは惜しい―」。

学生時代からコンピュータが好きだった。卒業後はコンピュータメーカーに入社。7年間しゃかりきに働き、お金を貯めた。会社の仲間や後輩、取引先の社員らとソフトウェア開発の会社を設立した。まず、「売れるもの」を作ることにした。安くて使い勝手のよいソフト。「二番煎じでもパクリでもいい」と社員たちの尻を叩いた。営業面にも力を注いだことで、ある程度の売上げが稼げるようになった。だが、安さだけでは大手に勝てない。今度は専門性を高める必要性が出てきた。

ソフト開発はやはり人材。そう思った私は他社からの「引抜き」に精を出した。もちろん引抜料は安くない。しかし、売れるソフトを出せばすぐにでも元は取れる。ヘッドハンティングにかかったお金以上に働いてもらえばいいわけだから・・・。

自分も社員も馬車馬のように働いた。冒頭のような状況はまさに日常茶飯事といえた。そして、業界ではそこそこのヒットとなる商品も作れるようになり、会社の収益も順調に伸びた。となると当然、納める税金も増えてくる。「何日も徹夜してまで稼いだ金を・・・」。一度惜しく感じてしまうともうどうしようもなかった。先に触れた技術者の引抜きに代表されるように、なにしろソフト開発にはお金がかかる。そこで、架空の開発費をどんどん計上した。

外注先には個人や零細企業が多く、「これならゴマカシが利く」と思い実際の数倍に当たる膨大な外注費を計上。人件費についても引抜料などの名目で水増しし、パートやアルバイトの学生に支払う賃金も帳簿上では実際より多く見せかけた。かなりの益金が消され、納税額は激減した。

だが、おいしいと思えたのはほんの一瞬。ソフト会社における外注費などは当局が最もマークする部分だった。調査に入られると、帳簿はボロボロの状態。「ここまでいい加減なのも珍しい」とまで言われる始末だ。

もともと信用力に乏しい小会社。「脱税」のレッテルを貼られては取引先も手を引かざるを得ない。アッという間に会社は倒産した。「身から出たサビ」の自分は仕方ないにしても、すべてを犠牲にして働いてくれた社員には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

2010年3月25日木曜日

Vol.25 『衣替えシーズンの売上げでバレた』

父親からクリーニング店を受け継いだのは今からちょうど5年前。店舗が郊外の住宅地のど真ん中にあるということで、そこそこ安定した需要がある代わりに大儲けもしない、いわゆる「のんびりペース」の営業をしていた。

だが、3年前ごろから大型マンションが次々に建ち始め、これにともないライバル店も次々と参入。あっという間に同じ町内にクリーニング店が7件もひしめき合う状態になってしまった。「このままでは顧客がどんどん取られてしまう―」。初めて苦境に立たされた私は、生き残りをかけて大胆な差別化作戦に討って出た。

まず夜間営業。ライバル店のほとんどが夜7時までに店を閉めてしまうなか、ウチは夜9時まで営業することにした。これが一人暮らしのサラリーマンやOLにウケ、新たな客層の囲い込みに成功。さらに、革や特殊加工のクリーニングを格安で引き受けてくれる業者と外注契約したり、季節モノを始めとした期間限定サービスをマメに展開したり、早期引き取り客に割引券を配ったりと、きめ細かいサービスを展開。当初は「やりすぎじゃない?」とたしなめていた妻も、面白いように増え続ける売上げ数値を見て、そのうち何も言わなくなった。

売上げ除外を始めたのはこの頃だ。はじめは、外注に出した分の売上げを除外してみた。レザーコートが流行っていたため、これだけでも結構な金額になる。慣れてくると午前中の売上げをすべて除外したり、10件に1件はレジを打たないようにしたりと手口はかなり大胆になっていった。

しかし、付け焼刃の脱税行為は長くは続かなかった。どこで店の評判を聞きつけたのか、ある日突然税務署から「調査に入る」との連絡があった。帳簿・関係書類の体裁には自信があったので、はじめは強気だったが、月別の売上げをチェックしていた調査官が、「春と秋の衣替えの時期に売上げのピークが来ていない」と指摘してきた途端、心臓が凍り付いた。しどろもどろに対応していると、別の調査官が「外注支払台帳と受注台帳を見せてほしい」と言ってきた。「やばい!」。この外注に関する収入はすべて売上げから除外していたのだ。案の定、2、3カ月分をつき合わせただけで、数十件の特殊製品の売上げ除外が見破られた。

これが突破口となり、そのほかもろもろの売上げ除外も発覚。あっという間に私は「脱税犯」になってしまった。税務署は本当に侮れない。悪いことはできないものだ。これが、多額の追徴金と引き換えに学んだ現実だ。

2010年3月24日水曜日

Vol.24 『会社の運転資金がほしくて…』

東京の下町で細々と印刷会社を営む私は、景気の頃、いまのような苦しい経営を強いられることなどまったく予測していなかった。そのため、突然やってきた不況の波を甘く見て、つい軽はずみな行動をとってしまった。

印刷業は、紙と印刷機械さえあれば営業できるというものではない。印刷物のレイアウトを頼まれることもあれば、印刷物の発送まで請け負うこともある。いくつかの専門業者と業務提携していなければ成り立たない仕事なのだ。

そういった専門業者に仕事を依頼する、いわゆる外注費の占める割合は売上げの半分近くを占めることが多い。外注費を少しでも減らしたいが、なにせ専門業者への請負料金の設定はどこも同じで、競合させて安いほうに仕事を任せるというテクニックは通用しなかった。

そこで、不況を乗り越えるために経費削減の筆頭に上がったのが人件費。だが、わが社の場合、重要な作業は機械でこなせるようにしていたため、人は機械の補助的役割をしているにすぎない。そのため、正社員の数は少なくアルバイトの女性が従業員の大半を占めていた。

もちろん、そのアルバイトもギリギリまで減らして人件費の削減に努めたが、一人の仕事量が増えて残業を強いる結果を招いてしまった。残業が増えれば、その分残業代も増えていく。それでは人員削減をやった意味がなくなってしまった。

人件費以外に削減できるコストはないかと考えあぐねた結果、思い付いたのが納める税金を減らすことだった。仕事が減っているから、利益などはスズメの涙。当然、法人税など眼中になく“減税”のターゲットは源泉所得税と消費税に絞られた。消費税を減らす方法としては、売上げ時にかけた消費税から仕入れ時に支払った消費税を差し引く仕入額控除の計算を利用することにした。つまり、外注費を増やして支払う消費税を増やせばいいわけだ。

外注費を増やすのにちょうどよかったのが、アルバイトたちの残業代だ。残業部分の仕事をすべて外注したことにして、アルバイトを従来通り使っていながら帳簿の勘定科目だけをいじって外注工賃を増やした。これにより、年間の源泉所得税を約200万円浮かせることができ、消費税は年間約100万円が益税のような形で会社の運転資金に回せるようになった。

この仕組みを考え出したときには、我ながら感心したものだが、すぐに税務調査で手口が暴かれてしまった。消費税や源泉所得税は、末端の納税者の代わりに会社が税務署へ納めているだけ。それを不正に流用したことに、いまでは後悔ばかりしている。