ピンポーン。税務調査官が私の家のチャイムを鳴らしたのは、親父が亡くなってから2年目の秋のこと。親父は膨大な資産を家族に残してくれたため、長男の私はしかるべき取り分を相続し、きちんと相続税を納めていた。ただひとつを除いては――。
雑談後、男性調査官は親父の学歴や職歴、趣味、性格などを聞き始め、女性調査官は私の顔を見ながらメモを取り始めた。私はヘタな事をしゃべらないよう慎重に対応し、調査は順調に展開しているように思えた。
しかし、根掘り葉掘り聞く調査官に徐々に威圧感を感じ始め、親父の死亡直後の現金の使い方について聞かれたときには、恐怖感すら抱き始めた。こんな事まで聞かれるのか?あの事だけは絶対にバレないようにしなければ――。そんな思いを隠すため、私はわざと不愉快さを顔に表し、親父のノートを見せてくれと言われたときは「プライバシーの侵害だぞ!」と怒鳴って見せた。
調査官が来て数時間が経過し、男性調査官の額から汗が出始めてきた。これなら誤魔化し通せるかもしれない。私はその汗を見てなぜか余裕を覚え、座っていた母に、調査官が要求した香典帳を持ってこさせた。
香典帳を手に戻ってきた母は、「これで汗でも拭いてください」とウェットティッシュも差し出した。お礼を言った調査官は母に、「このティッシュに○×銀行と書かれてありますが、お母様が預金されているのですか?」と質問した。「えっ!そっ、それは・・・・・・」。母は返答に窮している。私は頭の中が真っ白になり、隣の部屋に駆け込むと引出しに隠していた○×銀行の預金通帳を掴み窓から外へ逃げ出した。
この預金通帳は、申告後に見つかった親父の財産を預金しておいたものだ。私はその金の一部を、母と同居するためにこの実家を二世帯住宅に改装する頭金にしていたのだ。私は通帳を抱えて無我夢中で走った。今までの人生の中で、考えられないほどのスピードで走った。後ろを振り返ると女性調査官が追いかけてくる。さらにスピードを上げたその瞬間、足がもつれて頭から地面に転がり込んだ。
すぐに起き上がろうとしたが体が動かない。私は逃げ切れない事を悟った。追いつき荒い息遣いをしている女性調査官に預金通帳を手渡すと、しばらくの間、その場にうずくまり続けていた。この私の行動が、申告もれの何よりの証拠となり、本税に加え無申告加算税と延滞金を払う事となった。
思えば、あの時逃げなければ調査の展開は変わっていたかもしれない。だが、今はただ、親父が残してくれた財産に“キズ”をつけたことに深く反省している毎日だ。
2010年4月6日火曜日
Vol.36 『通帳抱えて逃げたものの…』
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