2010年4月8日木曜日

Vol.38 『中途半端な税知識がアダに』

私は、数年前まで「ちくわ」や「かまぼこ」を作る水産食料品加工業を営むオーナーだった。商品の納入先が大手スーパーだったことから、好景気の頃、飛ぶ鳥を落とす勢いで会社は大きくなっていった。そこで、かまぼこの製造工場とちくわの製造工場を分割して、それぞれ子会社化した。さらに、親会社は子会社が造った商品の卸売り専門会社とした。というのも、当時の制度の下で消費税の簡易課税制度を適用する場合、製造業は第三種事業にあたり、みなし仕入率が90%になるからだ。

かまぼこなどは商品単価が安いため、売上に対して5%の税率で課税される消費税は無視できなかった。そのため、消費税についてかなり勉強したものだ。しかし、その時学んだことが後になって災いの元になるとは考えもしなかった。

急激な景気の悪化は、消費の低迷を加速させ、やがて商品を納めていた大手スーパーの売上にも大きな打撃を与えた。そして、その大手スーパーは銀行からの膨大な借金を返せず、とうとう経営陣が総退陣。全国に出店していた店舗の大半を閉鎖することで、経営再建を図ることになった。

私の会社が商品を卸していた店舗も閉鎖を余儀なくされ、取引は中止。収益は大幅にダウンした。そして私は親会社をはじめ子会社2社も含めて閉鎖することを決意。100人近い社員への給料が滞る前に、会社をつぶして社員全員の生活への影響を最小限に抑えようとしたわけだ。それでも、会社の清算は何かと支払が多く、スムーズに進まなかった。

そこで、資金不足を補おうとして考え出したのが、消費税の還付金の捻出だった。捻出といえば聞こえは良いが、やってはいけない不正還付に手を染めたわけだ。

倒産したとはいえ、在庫となっているかまぼこやちくわを仕入れてくれる会社はいくつかあった。そこで、消費税の計算方式について、簡易課税制度の適用を取りやめて実額課税に変更することで、仕入税額控除をうまく利用することにした。つまり、課税売上にかかる消費税から課税仕入にかかった消費税を差し引いて、マイナスになるとその分が税務署から還付されるという仕組みを悪用したわけだ。

子会社2社から約3億円で商品を仕入れたことにし、約3千万円しか売れなかったとして消費税約1350万円の還付を税務署から受けた。しかし、やはり悪いことはできないものだ。すぐに税務調査が行われてすべてが明るみになった。

2010年4月7日水曜日

Vol.37 『同人誌販売がバレて…』

銀行口座の残高は800万円前後。年収はここ4年で900万円は下らない。この不況の下、30歳を前にした人間としては「それなりの稼ぎじゃないか」、と自負している。しかし職業が職業だけに、クレジットカードのひとつも作れず、冷やかしに入った消費者金融の審査にすらはねられてしまう。そんな私はデビュー8年目の漫画家だ。

某誌新人賞に応募した原稿が編集者の目にとまり、しばらくは読み切りやカット、アシスタントの仕事が続いたが、3年目から雑誌連載のチャンスに恵まれた。大ヒットには恵まれていないが、連載がスタートしてからは、それなりにファンもつき、ネット上には応援サイトもできて、仕事も収入も徐々に安定してきた。「ペット可」のマンションにも入れたし、猫も飼えた。あのころはそれで満足だった。

連載中止の通告は突然だった。まるで、明後日の夜にカラオケに誘うときと同じような、ごく普通の感じで通告されたのだ。私にとっては地獄行きの宣告と同じだというのに。幸い、他誌から新連載の仕事が入ったため、すぐに収入に困るということはなかった。しかし、この日から、「いつ連載を切られるか」という恐怖に駆られるようになった。将来のために蓄財することを考え始めたのは、この頃からだ。税金の申告は、先輩の作家から紹介してもらった税理士にすべて任せていた。幸いというべきか不幸というべきか、その税理士は清廉潔白な人物だった。それだけに、過少申告の相談をするわけにはいかなかったし、私にも税金に関する知識は何もなかった。

では、どうすれば蓄財できるのか?答えは簡単だった。同人誌を売ればいいのだ!「本業」の傍ら、同人誌用の原稿を描きまくった。そして、即売会当日。連載時のペンネームで販売した同人誌の部数は1千部。1部千円。その日のうちに売り切った。ダンボール箱一杯の千円札を見て、「これが100万円かぁ」と感じ入ったことは今でも覚えている。この年から同人誌の作成、販売はルーティンワークになった。部数も2千部に増えた。面白いように貯まったお金は、すべて貯金した。不正と分かっていながら申告はしなかった。

税務署から職員が来たのは、ついこの間のことだ。いわく、「先生、随分多くの同人誌を刷っているんですね」。どうやら、新しく税務署に配属された調査官が私のファンだったらしい。彼らはすでに、同人誌を刷った印刷所、即売会の出席者にもコンタクトを取っていたようだ。3年間の「非合法」な売上と過少申告加算税で、それまでの蓄えはほとんどなくなってしまった。

2010年4月6日火曜日

Vol.36 『通帳抱えて逃げたものの…』

ピンポーン。税務調査官が私の家のチャイムを鳴らしたのは、親父が亡くなってから2年目の秋のこと。親父は膨大な資産を家族に残してくれたため、長男の私はしかるべき取り分を相続し、きちんと相続税を納めていた。ただひとつを除いては――。

雑談後、男性調査官は親父の学歴や職歴、趣味、性格などを聞き始め、女性調査官は私の顔を見ながらメモを取り始めた。私はヘタな事をしゃべらないよう慎重に対応し、調査は順調に展開しているように思えた。

しかし、根掘り葉掘り聞く調査官に徐々に威圧感を感じ始め、親父の死亡直後の現金の使い方について聞かれたときには、恐怖感すら抱き始めた。こんな事まで聞かれるのか?あの事だけは絶対にバレないようにしなければ――。そんな思いを隠すため、私はわざと不愉快さを顔に表し、親父のノートを見せてくれと言われたときは「プライバシーの侵害だぞ!」と怒鳴って見せた。

調査官が来て数時間が経過し、男性調査官の額から汗が出始めてきた。これなら誤魔化し通せるかもしれない。私はその汗を見てなぜか余裕を覚え、座っていた母に、調査官が要求した香典帳を持ってこさせた。

香典帳を手に戻ってきた母は、「これで汗でも拭いてください」とウェットティッシュも差し出した。お礼を言った調査官は母に、「このティッシュに○×銀行と書かれてありますが、お母様が預金されているのですか?」と質問した。「えっ!そっ、それは・・・・・・」。母は返答に窮している。私は頭の中が真っ白になり、隣の部屋に駆け込むと引出しに隠していた○×銀行の預金通帳を掴み窓から外へ逃げ出した。

この預金通帳は、申告後に見つかった親父の財産を預金しておいたものだ。私はその金の一部を、母と同居するためにこの実家を二世帯住宅に改装する頭金にしていたのだ。私は通帳を抱えて無我夢中で走った。今までの人生の中で、考えられないほどのスピードで走った。後ろを振り返ると女性調査官が追いかけてくる。さらにスピードを上げたその瞬間、足がもつれて頭から地面に転がり込んだ。

すぐに起き上がろうとしたが体が動かない。私は逃げ切れない事を悟った。追いつき荒い息遣いをしている女性調査官に預金通帳を手渡すと、しばらくの間、その場にうずくまり続けていた。この私の行動が、申告もれの何よりの証拠となり、本税に加え無申告加算税と延滞金を払う事となった。

思えば、あの時逃げなければ調査の展開は変わっていたかもしれない。だが、今はただ、親父が残してくれた財産に“キズ”をつけたことに深く反省している毎日だ。

2010年4月5日月曜日

Vol.35 『タレントを売り出すために』

「あとは人気スターが出てくれれば……」。小さいながらも念願の芸能プロダクションを立ち上げとき、心の底からそう願った。

だが、なかなか上手くはいかないもの。弱小プロダクションの所属では、よほど飛びぬけた実力がないと難しい。となると、ここは社長の自分が頑張るしかない。親戚中からおカネをかき集め、テレビ局やラジオ局、雑誌、ほかの芸能プロダクションなどの関係者とのコネ作りにつぎ込んだ。とにかく、自分のところのタレントを多く露出してもらうこと。ムダとも思えるおカネを日々、大量に使い続けた。

その甲斐あって、タレントの1人がテレビ出演をきっかけに売れ始めた。これが呼び水となって、ほかの所属タレントにも徐々に仕事が入るようになった。「濡れ手で粟」とはまさにこの世界のこと。人気あるタレントへの番組やコマーシャルのギャラ(出演料)は想像を遥かに越えたものだったし、それ以上に地方への営業などの際に興行主や関係者からもらえる「お見舞金」「お祝い金」の類は、領収書を切らなくても済むケースが多く、かなりオイシイものといえた。

稼ぐお金が増えれば税金もそれだけ増えるのが当然。それは分かっていたが、この業界の場合、なんといっても成功を得るまでに莫大なおカネがかかっている。「たった1人」を売れるようにするまでいくら使ったか……。そうしたことを考えると、成功の“果実”を取られてしまうことが惜しいと思われてきた。

その筋で有名な「コンサルタント」に相談した。俗にいう脱税請負業者というやつだ。彼は、顧問料やコンサルタント料といった名目で架空の領収書をプロダクション宛てに発行した。もちろん、実際にはコンサルティング料は払っていない。しかし、その見返りとして脱税した部分の何割かを裏で渡していた。

この「カラ領収書」は脱税としてはポピュラーな方法だと聞いた。「それで本当に大丈夫なのか」とは思いながらも、その道のプロを信用し、その後も仮装経理を続けた。だが、不安はやはり的中した。

世間一般からも脱税や不正経理のイメージが強いこの業界。当局が放っておくわけがない。折しも、大手芸能プロダクションへの監視が厳しくなり始めたとの噂があった頃で、まず、「請負業者」が踏み込まれた。あっという間に摘発。痛いのは罰金などのペナルティだけではない。人気商売だけにタレントにおよぼす影響も大きい。時期を同じくして看板タレントが落ち目になってしまったのも偶然とは思えない。自分の甘かった考えを猛省する毎日だ。

2010年4月4日日曜日

Vol.34 『ネイルアートに魅せられて…』

私がネイルアート・ビジネスに関心を持つようになったのは10年ほど前。アメリカ旅行中に、知人に誘われて初めてネイルサロンに行ったその日に、「日本でも一般向けビジネスとしてやっていける」とひらめいたのが始まりだった。

爪の健康についてアドバイスしながら色とりどりのマニキュアやツケ爪、アクセサリーを使ったメイクアップ・サービスを提供するネイルサロンは、今でこそ日本でもOLや学生が気軽に利用しているが、当時はまだ特殊な存在だった。

そんななか、ネイルアートの魅力に取り付かれた私は、日本の仕事をやめて本場アメリカのネイルサロンにヘルパーとして入り込み、コツコツと下積みを重ねながら「普通のOLが足を運べるネイルサロン」の実現を目指した。努力の甲斐あって、5年程前にようやく小さなネイルサロンをオープン。後発組ながら、爪の健康管理を前面に押し出した丁寧な対応が客にウケ、着実にリピーターを増やしていった。ビジネスが軌道に乗ってくると、オリジナルブランドのネイルカラーを発売したり、ネイルアートに関するセミナーを開催するなど、少しずつ職域を拡大。ファッション雑誌にも取り上げられ、面白いぐらいに客が入るようになった。普通のOLや学生でにぎわうサロンを目指しながら、下積み時代を思い出して感無量になったあの時の心境を今でも昨日のことのように覚えている。

しかし、「馴れ」とは怖いものだ。儲かれば儲かるほど初心を忘れ、売り上げのことばかり考えるようになった。売上目標を設定し、ピリピリしながら仕事をしているうちに、税金までが惜しくなった。はじめは来店客の間引きによる売上除外から手を付けた。そしてネイルカラーやアクセサリー類などの仕入をごまかすようになり、そのうち、ネイルケア商品の販売やセミナーなどの売上げをごっそり落とすようになった。

ブームとなっているネイルサロンに税務署の目が向いていないはずはなかった。ある日、膨大なデータを手に税務署がやってきた。同業他社と比較して申告内容が不自然なのだという。帳簿類をアレコレ調べられ、交通費伝票から売上げを申告していないセミナーの地方遠征がバレてしまった。これが糸口となり、数々のごまかしが白日の下に――。

加算税などのペナルティは相当痛いが、それ以上に、私の腕を見込んで何度もお店に足を運んでくれたお客様や、信頼してついてきてくれたスタッフを裏切ってしまったことが辛い。貧乏でも、夢を持って頑張っていたあの頃の生活のほうが、ずっと充実していたといまになって実感する。

2010年4月3日土曜日

Vol.33 『おいしい仕事に心が揺らいだ』

不動産市場の冷え込みは、消費税の税率が3%から5%に引き上げられた平成9年4月から一挙に加速度を増した。土地自体や住宅の取引に消費税は課税されないが、建物部分の取引については課税対象となっている。事業用の賃貸ビルの仲介業を主な仕事としている当社は、一挙に収益を落としていった。事務所やテナントの移転を考えていた人たちの多くが、消費税負担に躊躇して、考えを改めてしまう状況が相次いだためだ。

会社収益の落ち込みは激しく、とうとうオーナーである私の給与はストップしてしまった。そんなときに舞い込んできたのが、所有するビル2棟のテナント需要調査とテナントの入居者確保というF社からの仕事。

テナント需要調査の報酬として、100万8千円の請求書をF社に送付した。一方、テナントの入居者確保については、同時に103万3千円の請求をF社に行った。久々にまとまったお金が入ってくることから、「半年間、私は1円の給料も会社からもらっていない。ましてや今回の収益は飛び込みで入ってきた仕事だから、すべて私個人のフトコロに入れたい」というとんでもない考えが浮上。F社への請求書には、私個人の普通預金口座に振り込むよう送金先を指定した。

私がとったその行動は、まさに会社の収益を隠ぺいする行為だった。単純な脱税の手口は、翌年やってきた税務調査でいとも簡単に暴かれてしまった。調査官から売上の除外を指摘されたとき、「それは私がいままで会社に貸し付けてきた金銭を返済してもらっただけだ」と往生際の悪い態度に出てしまったのがまずかった。いま思えば、素直に非を認めていれば事は大きくならなかったはずだ。

確かに、会社の運転資金がショートしそうなとき、私個人の自宅や別荘などの不動産を担保に銀行から融資を受け、それを会社に貸し付けた形を取っていた。しかも、F社から振込まれた金額の大部分は、そうした個人的な借入れの返済に充てている。

そもそもF社に対して代金の振込先を会社の口座にしなかったことは、誰が見ても売上の除外になる。ましてやF社から支払われた事実を会社の帳簿にも記載していない。仕事を請負った契約書が存在するのに、代金が支払われていないとなると、税務署が疑ってかかるのは当たり前。正々堂々と会社の口座に入金してもらい、その上で給料として会社からお金を受取っていれば何の問題もなかったのに。結局、私が会社からくすねた金額は全額役員賞与となり、会社は法人税に加えて重加算税まで納めなければならなかった。

2010年4月2日金曜日

Vol.32 『従業員に還元すればよかった』

私の家は、3代続く「すし屋」だった。私の父は、70歳を過ぎ、すし屋を私と弟に譲ると言ってくれた。

しかし、正直今のすし屋に時代遅れの古臭さを感じている我々兄弟にとって、3代続いているすし屋をそのままの形で受け継ぐ気にはならず、「未来のすし屋」を目指すため日夜兄弟で話し合っていた。当時はやっていた「デリバリー」という言葉で何かできないかなと思っていたのだ。すし屋では出前もあるから、配達は全然目新しいものではない。

満員の店内で客にすしを握りながら、いつものように出前に対応していたある日、配達が1時間以上遅れてしまって、客はカンカンに怒っていた。この客は、いつも出前を頼んでくれるお得意さんだ。平謝りして電話を切ったあと、「うちの常連客は出前のほうが多いのでは」とふと思った。調べてみると、常連客の7割以上が出前客だった。聞くところによると、店内はいつも混んでいてゆっくり食事ができないから、出前を注文するという。

これを聞き、「デリバリー専門のすし屋」を開こうと考えた。父は、ものすごく反対したが、その反対を押し切って店をリニューアルしたのだ。目論見通り、店は連日電話が鳴りっぱなしの大繁盛。すぐに、3号店、4号店と出店ができるほど出す店、出す店が儲かる。店を増やせば、当然「デリバリー」をする人手も必要となる。多くの学生アルバイトやフリーターなどを雇って店を切り盛りしていた。

店が儲かれば当然、税金もたくさん取られる。節税対策を考えていたら、弟が「それなら働いているみんなに時給を上げたり、臨時ボーナスでも出して、もっと気持ちよく働いてもらおう」と言った。しかし、私は弟の意見に耳を貸さずに、“脱税”という手段を選んだ。方法は、従業員の水増しである。不採用となった人の名前を借用して、従業員を水増ししていたのだ。

そんな簡単な手口では、税務署の調査で簡単に見破られることは分かっていながら、それを続けていた。案の定、その後の税務署の調査で脱税がバレてしまった。出勤簿を軽くチェックしただけで、架空人件費を指摘されてしまったのだ。

従業員への還元より脱税を選んだことが、従業員にも知れ渡り、店にとって大切な人々が次々と店を辞めてしまった。今では、1号店舗のみとなり、私が電話を受け、配達は弟がやっている。何事も、人を大切にする心がないとダメなことを実感し、反省している毎日だ。

2010年4月1日木曜日

Vol.31 『門前薬局で大儲けしたが・・・』

Vol.31 『門前薬局で大儲けしたが・・・』

「薬九層倍(くすりくそうばい)」とはよくいったものだ。

原価は1円未満のものが、包装されれば数百円になる。この手口で製薬メーカーが膨大な収益を上げているというのに、どうして我々だけがとがめられなければならないのか?。県で最も大きな病院の前で調剤薬局を開いていた頃、私は常々そう思っていた。だからこそ脱税犯としてお縄になるまで、いい加減な商売をしていたのだろう。

私が経営していた薬局は、いわゆる「門前薬局」というものだ。こういっては語弊があるかもしれないが、大病院の門前薬局経営ほどボロい商売はない。大病院の診療を受けた1日あたり10ダースもの患者が、処方箋を持って門前薬局にやってくるのだ。どれくらいもうかるかというと、私よりはるかに小規模な門前薬局の経営者でさえ、2人の息子を私大医学部に入れつつ毎年海外旅行に行く余裕があった、という事実から察してほしい。客への愛想も要らず、優れた経営手腕を必要としないにもかかわらず、これだけ儲かる門前薬局という商売だが経営上の勘所がないわけではない。大切なのは大病院との信頼関係だ。大病院との信頼関係とは、ありていに言えば「どのくらい病院側にリベートを渡すか」である。

リベートのねん出方法はいろいろある。よくやっていたのは、「振替え請求」という方法だ。そのやり方は簡単にいうと「病院が薬価1万円の薬を処方せんに書く。これを受けた薬局は、その薬と同じ成分である500円の後発品を患者に渡す」というものだ。これで薬価1万円の薬を使ったことにして保険請求すれば、9500円が手に入る。もっとも、振替え請求をはじめとした裏金のねん出や病院へのリベート贈与は、厚生労働省も禁止していることだ。だが、厚生労働省は警察ではない。彼らに告発される心配は何一つなかった。

こうして大病院との蜜月関係が永久に続くかと思われた頃、税務署がやってきた。調査も何もなく突然であった。大病院の院長の脱税容疑を調査していた税務署が、いろいろ調べているうちにリベートの存在を嗅ぎつけたのだろう。

私自身、違法な裏金をねん出していたわけで、“適正な税務申告”をしてきたわけではなかった。だが、裏金のほとんどはリベートとして病院に渡し、私の手許には何も残っていなかったので、まさか脱税でお縄になるとは思っていなかった。税務署員の優秀さと、本丸である病院がお縄になる可能性を考えていなかった己の不明が、脱税で告発されたことにつながったというわけだ。